京の都で咲く花は
「お、政宗。あれに乗ってみないか?」
友人の言葉に、その手が指し示す方向を見た伊達は途端に顔を顰めた。
「馬鹿かお前は。男二人で乗るもんじゃねえだろ」
そこにあったのは客待ち中らしき人力車だった。独特の形状をした車の脇に、引き手らしい男がひとりぽつねんと突っ立っている。ここ京都ではそう珍しくもない光景である。観光地ならではの乗り物はそれなりに需要があるのだろう、実際、今日も何台か客を乗せたそれが勢い良く走ってゆくのを見かけた。だがそこに乗っていたのは若い女性の二人連れや楽しげなカップルが殆どで、少なくとも男二人が並んで乗っている光景にはお目にかかったことがない。今日のみならず、これまで数え切れぬほど訪れた際に見たすべてを通してもだ。
だが徳川は伊達の拒絶にも一向に怯むことなく、前から一度乗ってみたいと思っていたんだよなあなどと楽しげに呟いている。挙句に伊達の肩を押して歩き出してしまう。その手をぱしりと叩いた伊達は足を止め、徳川の進もうとした方向を顎でしゃくった。
「乗りたきゃ一人で乗って来い。俺はその辺ぶらついてるから」
男一人で乗っているのも少々薄ら寒い光景である気はするが、二人連れよりはまだマシな筈だ。だが徳川は不満そうな顔で唇を尖らせた。
「一人でなんて恥ずかしいじゃないか」
「どう考えても二人の方が恥ずかしいと思うぜ」
「まあそう言うなよ。何事も経験だろう」
呆れて言い返す間に腕を取られ、ぐいぐいと引っ張られる。
「おい、家康!」
流石に声を荒げた伊達に構わず、徳川は先ほどの引き手の男に声を掛けた。
「乗せて貰いたいんだが、いいかな?」
「あ、はい。大丈夫です!」
こちらを向いた男の顔を見て、伊達は思わず目を瞬かせた。ずいぶんと若い。男にしては可愛らしい顔立ちは、下手をすれば高校生くらいにも見える。こういった仕事にはあまり詳しくないが、学生のアルバイトかなにかなのだろうか。
「お一人ですか」
「いや、二人で頼む」
「俺は乗らねえっつってんだろ!だいたい野郎二人なんて無理だろ、狭いし、引く方だって重くて大変だろうが」
正論だと口にしながら思う。この人力車は一応二人乗りタイプのようだが、それでも標準体格の伊達と標準以上の徳川が並んで座るのに十分とは見えない。それに、と伊達は改めて引き手の青年を見やった。背は伊達よりいくらか低いくらいでそこそこあるようだが、黒っぽい半纏に包まれた身体は細っこく、一人乗りの車を引くのも厳しいのではないかと思わせるほどだ。
伊達の言葉に一瞬きょとんとした顔をした青年は、だがすぐににこりと笑って首を横に振った。
「お気遣い頂いて恐縮ですが、お二人でも問題はありません」
確かに座席が多少窮屈になってしまうのは否めませんが、と付け加えたその口調は外見の若さに見合わずひどく堅苦しい。目を瞬かせた伊達の傍らで、頼もしいな、と徳川が肩を揺らした。
どうしてこうなった。ガラガラと車輪の回る音を聞きながら伊達は片手で顔を押さえた。隣では徳川が機嫌よさげにあれこれと引き手の青年へと話しかけており、そのひとつひとつに青年が丁寧に受け答えしている。結局徳川の強引さに押し切られるかたちでこうして車上で揺られることになってしまった。正直、周囲の視線が痛い。自意識過剰だと己に言い聞かせてみてはいるものの、指の間からちらりと視線を流してみると、道の傍らに立っていた若い女性の集団がじっとこちらを凝視しているのと目が合ってしまい、がくりと肩が落ちる。これだけ奇異の目を受けても欠片も気にした様子のない同乗者の神経の太さがいっそ羨ましい。
もはや顔を上げる気も起きず、ひたすらこの苦行の時が早く過ぎることを祈っていた伊達の願いに答えるように、キキッと車輪が軋む音がして振動が止まった。
徳川が頼んだのは30分貸切コースとやらだ。終わるにはいくらなんでもまだ早い。訝しげに隣を見ると、腰を上げた徳川が逞しい体躯に見合わぬ身軽さで車から飛び降りるところだった。
「家康?」
「ワシはちょっと写真を撮ってくる!お前はここで待っていて構わないぞ!」
「ちょ、おい…!」
呼び止める間もなくカメラ片手に小走りに行ってしまった友人の背を見送り、伊達は溜息をついた。京都なぞ伊達同様、数え切れぬほど訪れているというのに今更なにを写真に撮る必要があるというのだ。伊達にはまったくもって理解出来ない。
「ご気分でも悪いのですか」
かけられた声に顔を上げれば、すぐ傍らに立った引き手の青年がこちらを見上げている。正直その存在を忘れかけていた伊達は小さく肩を竦め、気遣わしげな顔に軽く手を振った。
「そういう訳じゃねえよ。悪いな」
「それならばよいのですが。先ほどからずっと静かにしておられましたし、もし具合が悪いようでしたら途中で引き返すことも出来ますので」
純粋に親切心からの申し出なのだろう、青年の声は誠実さを感じさせる。常の天邪鬼は珍しく顔を出さず、伊達は素直にthanks、と礼を言った。ちらりと視線を遠くにやれば、徳川の黄色いパーカー姿は随分と離れたところにある。あの様子ではまだ暫く戻っては来るまい。諦め半分で伊達は腰を上げた。すいと目の前に手袋に覆われた手が差し出される。女性客ではあるまいし、助けなどなくとも降りられる。そう思いながらも無視するのも気が引けてその手を取ると、支えるようにぐいと力が篭り、伊達はそこに体重を預けるようにして地面へと降りた。
「本当に大丈夫ですか」
「ああ。…アンタこそ大丈夫なのかよ?普通、男二人なんて乗せねえだろ」
ジャケットの内ポケットから煙草を取り出しながら問うと、青年は小さく笑った。
「確かに珍しくはありますが、特に支障はありません」
「ふうん。見たところ細っこいのに、たいしたもんだな」
賛辞に、青年は特に照れた様子も見せなかった。
「慣れてしまえばどうということは…」
「慣れてんのか?」
「ええ、もう一年ほどやってますから。といっても、バイトなので週二日程度ですが」
「へえ。じゃ、本業は学生?」
「はい。大学二年になります」
ということは二十歳そこそこか。それよりいくつか若く見える童顔に、伊達は煙草を咥えた唇の端を上げた。
(2011.1.31)
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